応神天皇の招請で、後の仁徳天皇の教育係として、遙か百済からこの浦江の地にたどり着いた王仁博士は、吾国に始めて論語や千字文を伝えたとされております。また朝廷の文事を司れられた方でした。近年学問の神様として、多くの方が学業の向上や、入試合格の願をかけて参拝されます。 |
||
浦江城の守護神として祀られていました。 |
||
野々宮社と共に伊勢斉宮女御のみゆかりの地に祀られ、この斉宮社は本社と隣接してあったことから、古代において、いつの時代かは不明ですが、この浦江の地は、内親王が伊勢の斉宮(いつきのみや)に定まりましたら、御祓をする地であったと推察されます。 |
||
いつの時代かは不明ですが、古地図にみえる伊勢斉宮女御の御祓のために定められた野宮とこの野々宮社の旧地が概ね一致することから、摂津誌や大日本史は御祓の地と断定しています。 |
||
神宮遙拝所 伊勢の神宮を遙拝するための施設 後ろの木の根っこによって台座が傾いております。 |